
こんにちは!提唱者からんです。
1946年生まれの西川きよしさん
元々は吉本新喜劇で活動していましたが
1966年に横山やすしさんと漫才コンビ「横山やすし・西川きよし」として活動を始めて、「やすきよ」の愛称で人気となった元お笑いタレントです
その他にも司会や政治家も経験されてきた方ですが
そんな彼が今回は愛する妻のヘレンについて馴れ初めやプロポーズ、周囲から結婚反対されても押し通した理由
妻のヘレンはどんな人?

西川ヘレンさんは、タレントです
1963年に吉本興行に所属し、吉本新喜劇では女優顔負けの美しさからマドンナ的存在で、都合が悪くなると「私外人やから、日本語わかりません」と関西でまくしたてる芸が人気で売れっ子でした
西川きよしよりも5ヶ月先に入団されていましたが、その差は「通行人A」と「大スター」のような差があったと言います
西川ヘレンさんの旧姓は杉本
結婚前はヘレン杉本で活動されていました
父親はアメリカ人で、母親は日本人のハーフ
父親はヘレンさんが生まれる前に帰国しており、ヘレンさんは父親の顔を見たことがなく、母子家庭で育ちました
幼い頃は、外国人が珍しい時代だったため
当時、青い目と金髪のだったヘレンさんは学校へ行けば「ヘレンの目はサバの目」「ヘレンの毛はナンバ(トウモロコシ)の毛」とイジメられていたそうです
西川きよしとヘレンが急接近したきっかけ

稽古場で、ヘレンさんが扁桃腺が腫れ40℃の熱があった時のこと
吉本の偉い人からのお願いで
稽古場から一番近くに住んでいた西川きよしさんの家で、一晩面倒を見てやってほしいという話がきっかけで急接近しました
当時の西川きよしさんは実家ぐらし
6畳間と10畳間の2部屋で7人暮らしでした
そこへ突然普段からテレビで良く見るヘレンさんが家にやってきたので家族は大騒ぎ
10畳にヘレンさんを寝かせ、6畳に7人でぎゅうぎゅうに一晩過ごしました
翌日ヘレンさんは熱が下って回復され、京都からヘレンさんの母が生八つ橋を持ってやって来ました
この日をきっかけに、西川きよしさんとヘレンさんは家族ぐるみで仲良くなり2人の関係性も近づきました
例えば呼び方
これまでは「キー坊」「ヘレン姉さん」と呼び合っていたのが
「キー坊」と呼ぶことがなくなり、「ヘレン姉さん」も姉さんと呼ばず呼び捨てになっていきました
仕事での先輩後輩の関係性は変わりませんが、明らかに2人の関係は変わりました
プロポーズはヘレンから!プロポーズの言葉は?

「こんな(見た目の)私で良かったら、もらってください」
外見でイジメられてきた経験から、出てきた言葉であることが伺えます
その後2人は交際がスタートしますが
2人の収入には大きな差がありました
ヘレンさんの収入が当時の金額で言うと20万に対して
西川きよしさんは2万
なんと約10倍もの差があったと言います
周囲から反対を受けながらも結婚した理由

ヘレンさんが妊娠をしていたからでした
出会って4年後の1967年9月(当時21歳、ヘレンさんは20歳)に結婚した2人ですが
2人が所属する吉本興業だけでなく、ヘレンさんの母親からも、西川きよしさんからの家族からも反対を受けました
ここまで反対された理由は、ヘレンさんが吉本興業を辞め、西川きよしさんの収入で生計を立てようとしたからです
吉本興業は看板娘を失う事への反対ですが、家族は心配でしょうがなかったことでしょう
しかしそれでも周囲の反対を押しきって結婚したのは
ヘレンさんが妊娠をしていたからでした
いわゆるデキ婚です
そうして、結婚したもののやはり西川きよしさんだけの収入では厳しかったため、ヘレンさんはこっそり働きに出て、家計を支えていたといいます
そんな西川きよしの最高年収は4億

なんと、結婚前に漫才に転身してから1970年には上方漫才大賞を受賞し、さらに番組の司会もするようになったことで
39歳までに最高年収4億まで上り詰めました
本当に信じられない偉業ですね
2人の間には3に子供がいて、それぞれ活動されています
- 西川忠志(1968年4月20日生まれ)長男⇒俳優
- 西川弘志(1970年3月1日生まれ)次男⇒元俳優、歌手で現在は飲食店経営者
- 西川かの子(1974年7月27日生まれ)長女⇒タレント
なにわのロイヤルファミリーと呼ばれています

以上、提唱者からんでした
